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前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その14)米百俵の精神

「米百俵の精神」

 義務教育費国庫負担金を、三位一体改革の補助金削減の対象にするのは間違っている。
 「歴史は繰り返す」というが、繰り返してはいけない歴史もあるだろう。「歴史に学ぶ」ということは、先人の智慧に学ぶとともに先人の失敗にも学ぶということだろう。

 大正年間に三重県七保村の村長大瀬東作が全国町村長会を結成して、義務教育費国庫負担増額運動を展開したのは、義務教育費の重圧から町村財政を解放し、町村財政の健全化によって真の自治の発展を期したからであった。大瀬東作が執筆した請願書は次のように訴えている。
「小学校教員俸給国庫支弁ノ儀ニ付請願
 (略)輓近、世界列強ノ状態ハ、競ッテ義務教育ノ経費ヲ国庫ヨリ支弁シ、国民教育ノ改善徹底、真ニ皆刮目ニ価スルモノアリ。独リ帝国ニオイテハ、未ダニ機運ニ遅ルルコト甚シク、依然トシテ、旧態ヲ改ムルコト能ワザルハ、真ニ吾人国民トシテ、慨嘆ニ堪エザル所ナリ。自治ノ精神ニ悖リ、自治体ノ現状ニ背馳シテ、ナオ永ク、斯クノ如キ不合理ナル制度ヲ存スルハ、タダニ自治体ノ発展、国民教育ノ振興ヲ妨グルノミナラズ、延イテハ国家ノ興隆ヲ阻害シ、ソノ害ノ及ブトコロ計リ知ルベカラズ。(略)」
 義務教育の財源は国が保障しなければ、自治体が発展できないというのが、その趣旨である。
 このような大瀬東作らの運動は、市町村義務教育費国庫負担法の下での定額負担金の大幅増額、さらに昭和15年の義務教育費国庫負担法の制定として結実していく。
 昭和15年に義務教育教職員給与の県費負担制度とその2分の1の国庫負担制度ができたとき、市町村関係者は「これで全額国庫負担になった」と喜んだという。当時の府県は自治体ではなく国の出先機関だったから、2分の1というのは国の中での中央と出先との負担関係だったのだ。「義務教育は国によって義務づけられた仕事なのだから、その財源は国で負担してほしい」というのは、大瀬東作ら町村長の悲願だったのである。義務教育費国庫負担制度による義務教育費全額の財源保障と地方分与税制度による地方間の財政調整という組合せは、極めて合理的なものであったと評価できる。この先人の智慧にどうして学ぼうとしないのだろう。

 昭和25年、義務教育費国庫負担金が廃止され地方財政平衡交付金に吸収されたとき、地方財政平衡交付金に吸収されるべきものとされた補助金・負担金305億円のうち、義務教育費国庫負担金は247億円(81%)を占めていた。地方財政平衡交付金を創設するために義務教育費国庫負担金が犠牲になったといっても過言ではない。
 義務教育費国庫負担制度の廃止にあたり、当時の文部省はなんとか義務教育の財源を確保しようとして、地方財政平衡交付金制度の中で義務教育費として算定した額は義務教育費として支出しなければならないとする標準義務教育費の確保に関する法律案を作成した。この法案は閣議決定まではこぎつけたが、総司令部の反対のため国会上程にはいたらなかった。こうして義務教育の教職員給与費は地方の一般財源の中へ放り出されたのである。
 教職員給与費の一般財源化の結果、義務教育におけるナショナル・ミニマムの水準の確保は困難になった。教育条件の全国的な低下と地域間格差の拡大という事態が生じたのである。教育条件の低下については、たとえば小学校1学級あたりの教員数が、昭和24年度の1.22人から26年度の1.20人に減少したといわれる。地域間格差については、たとえば昭和27(1952)年度の児童1人当たりの小学校費における東京茨城の格差が100:53であったといわれる。このため、教育界からは義務教育費国庫負担制度の廃止直後からこの制度の復活を求める声が大きかった。
 また、義務教育の教職員給与費が地方財政に与える圧迫も大きくなり、都道府県の一般財源に対する義務教育教職員給与費の割合は、昭和25(1950)年度の38%から昭和27(1952)年度の44%へと上昇した。そのため、昭和26(1951)年6月には全国知事会議において義務教育費国庫負担法復活を求める決議が行われるなど、地方行政関係者からの声も高まっていった。
 このような教育関係者や地方行政関係者からの要望を背景に、昭和27(1952)年3月に当時の文部省は、標準的な義務教育費のうち各地方団体の財政力に応じた負担分を差し引いた不足分を国庫負担するという内容の義務教育費国庫負担法案を策定した。その後、政府・与党の中での検討・調整を経て、昭和27(1952)年8月、義務教育費国庫負担法が成立した。
 平成16年11月26日の政府・与党合意による「三位一体の改革の全体像」において削減すべき補助金・負担金として積み上げられた2兆4千億円分の補助金・負担金のうち、義務教育費国庫負担金は、「暫定」とされた8,500億円を入れると1兆3千億円にのぼる。全体の54%である。「地方案」では「第2期改革」をやることになっており、その際には義務教育費国庫負担金を全廃することになっている。公共事業の補助金がこれまでどおり税源移譲に回らないとすると、結局税源移譲額の7割程度は義務教育費だということになるだろうと思われる。まさに義務教育費の犠牲の上に税源移譲が行われようとしている。教育条件の悪化と地方財政の困窮を招いた昭和25年の失敗の繰り返しである。あの失敗にどうして学ぼうとしないのだろう。

 義務教育費国庫負担制度は、全国どこでも一定水準の義務教育が行われるよう、必要な財源を国が優先的に確保して、各地方に均等に配分する仕組みである。
 各地方に均等に配分されるから、どこでも一定水準の教育ができる。地域間格差を生じることなく、義務教育の機会均等が保障される。私はこれを義務教育費国庫負担制度の「平準化機能」と呼ぶ。
 国は法律によって一定水準の教育を保障するために必要な財源の負担を義務づけられているから、国や地方がどんなに財政難に陥っても、義務教育費は他の経費に優先して確保される。これによって、財政状況の変動に影響されることなく常に一定水準の義務教育を行うことが可能になる。私はこれを義務教育費国庫負担制度の「安定化機能」と呼んでいる。
 私は、三位一体の改革で財源保障機能を縮小させようとしている地方交付税に、このような義務教育の「平準化機能」と「安定化機能」を求めることは不可能だと信じている。
 それは、義務教育費国庫負担制度には、ほかの行政サービスよりも義務教育を優先させるという考え方「義務教育優先の思想」があるのに対し、地方交付税にはそれがないからである。
 義務教育はなぜ優先的に財源保障されなければならないのか。それは、一人一人の国民が個人として自立し、それぞれのしあわせを求めてまっとうに生きていけるようにすることと、我が国の社会が、確固とした国民間の知的・道徳的基盤の上に、将来にわたって存続し繁栄していけるようにすることとが、義務教育の成否にかかっているからである。
 その「義務教育優先の思想」は義務教育費国庫負担法という法律に体現されている。義務教育費国庫負担法が存在する限り、国は、どんなに深刻な借金財政に喘いでいようとも、ほかの経費を犠牲にしてでも、義務教育費は確保しなければならない義務を負っているのである。
 この「義務教育優先の思想」こそ、長岡藩の故事「米百俵」の精神そのものではないか。この先人の智慧に、どうして学ぼうとしないのか。
 山本有三の戯曲「米百俵」の中で、小林虎三郎は「早く米を分けろ」と詰め寄る藩士たちにこう語りかける。
「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。…… この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。……」
前川喜平〔(まえかわ・きへい)文部科学省初等中等教育企画課長〕


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