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前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その2)地方交付税は破綻状態

 義務教育費国庫負担金を、三位一体改革の補助金削減の対象にするのは間違っている。
 一体なんのために、義務教育費を国庫負担から一般財源に振り替えなければならないのだろう。

 三位一体の改革の終着点は、総務省が地方に配っている地方交付税交付金の大幅削減である。地方交付税特別会計の破綻がこれ以上放置できない状態になっているからだ。地方交付税の改革は財政再建の重要な課題としてすでに平成13年の基本方針2001で打ち出されていた。地方交付税の将来に危機感を抱いた総務省が、地方交付税の削減を埋め合わせるため、一般財源の拡大を狙って打ち出したのが三位一体の改革だと言ってよい。
 義務教育費は地方交付税を破綻から救うための犠牲にされようとしているのだ。
 地方交付税交付金とは、国税の一部(所得税・酒税の32%、法人税の35.8%、消費税の29.5%、たばこ税の25%)を原資として、地方自治体の自主財源(地方税収入)の不足分を補填するために総務省が配っている金である。その原資となる国税の一部分のことを「地方交付税」と呼び、配られる金のことを「地方交付税交付金」と呼ぶ。その金の出入りを管理する会計が「地方交付税特別会計」である。この地方交付税特別会計という財布の中から総務省は全国の自治体に交付金を配分するわけだ。
 この財布の中に入ってくる金(地方交付税)は約12兆円だが、この財布から総務省が配っている金(地方交付税交付金)は約17兆円に上る(平成17年度)。総務省はこの不足分を補うために毎年借金をしており(地方交付税特別会計借入金)、その累計は今や52兆円にのぼっている。
 この借金52兆円だけでも十分破綻状態だが、さらに深刻なのはこれまでに自治体が行った借金について、総務省が地方交付税交付金で返済を肩代わりしてやると約束した額が70兆円を超えるということだ。1990年代を通じて旧自治省はこれでもかというくらい自治体に借金(地域総合整備事業債)をさせ、地方単独事業といわれる公共事業を推進した。その地方の借金の返済に当たっては返済資金を地方交付税交付金で賄ってやるという約束をしているのだ。さらに悪いことに、総務省は市町村合併を促進するという名目で合併特例債という借金も認め、その返済資金も地方交付税交付金で賄ってやると約束しているのだ。そしてとどめは赤字地方債だ。ここ数年地方交付税の削減を余儀なくされた穴埋めとして、総務省は地方に赤字補填の借金を認め、その返済は100%地方交付税交付金で賄ってやると約束している。
 「地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない。官僚だけでは処理できなくなっている」平成15年12月の全国紙一面に載った総務省岡本地方交付税課長(当時)の講演会での発言だ。この記事の見出しは「破綻の聖域地方交付税 三位一体改革」となっている(平成15年12月4日朝日新聞)。
 岡本課長は同じ年の2月に、ある地方紙のインタビューで「地方交付税はどこまで減るのか」との問いに答えてこう語っている。
「交付税は15年度予算で18兆円。これは7.5%の減です。3年続けてのマイナス。しかし、本当ならどこまで減らさなアカンかというと『10.6兆円』です。それが法律に定められた率による交付税額であり、“実力”です。今はその倍近く配分し、不足分は、借金などで下駄をはかせているのが現状。『子どもたちの世代に借金を残さない』『借り入れをしない』のであれば、本来は3分の2…いや、半額近くになってしまう」(平成15年2月18日北日本新聞)。
 率直でわかりやすい説明だ。国がどんな問題に直面しているか、複雑な実態を明らかにする。説明責任を果たすというのはこういうことだと思う。

 「三位一体の改革」の名付け親は片山総務大臣(当時)だそうだ。平成15年5月13日の記者会見で片山総務大臣はこう話している。
「三位一体というのは私が言い出したんですから。もとの言葉も。流行語大賞の時、頼みますよ。流行語にならんのかどうか知らんけれども、しかし、かなりみんな浸透はしてきたね。分かっている人も分かっていなくても、三位一体、三位一体って」
 「三位一体」とは、そもそもキリスト教の言葉だ。父(神)と子(イエス・キリスト)と聖霊との一体性という重要な教義を表す言葉だとされている。信仰のある方々にとって神聖なこの言葉を、地方財政制度の問題に使うのはいかがなものだろう。キリスト教関係者としては愉快ではないはずだ。ある日英字新聞を読んでいた私の部下がいきなり吹き出したので、どうしたのかと訊くと、「三位一体の改革」が「Trinity Reform」と訳してあるのがおかしいというのだ。たしかにTrinityは「三位一体」を表す英単語だが、「Trinity Reform」というのは確かにおかしい。直訳ではあるが誤訳というべきだろう。これでは宗教改革と間違えてしまう。

 総務省の要求どおり義務教育費国庫負担金の全額(平成16年度予算で2兆5千億円)を廃止し、同額の所得税をフラット税率の個人住民税に振り替えたらどうなるのか。現在の都道府県ごとの県民所得をもとに試算すると、税源の偏在のため都道府県間で著しい格差が生じ、47都道府県中40道県では、得られる税収が失われる国庫負担金を下回ることになる。最も財源が減少するのは高知県で、国庫負担金に比べて46%の減少になる。財源不足になる道県では、義務教育費を削減せざるを得なくなるであろう。
 総務省は、税源移譲によって生じる義務教育費財源の減少分は地方交付税交付金によって保障されると主張する。しかし、地方交付税交付金は都道府県のすべての財政需要を基準財政需要額として算定し、その総額に対して一括して交付されるものであるから、義務教育にこれだけ使わねばならないということはできず、義務教育費が確保できるという制度的な保障はない。
 それだけではない。地方交付税交付金については、地方の財政需要の総額に対する財源保障機能があるために地方の財政的な自立を妨げていると批判されている。そのため、「三位一体の改革」においては、地方交付税の財源保障機能を縮小することになっている。地方交付税の総額削減は「三位一体」のうちの「一位」であり、近い将来間違いなく実施される。総務省は、交付税の総額が減っても義務教育費は100%基準財政需要額に算入するから財源が保障されると主張する。しかし「基準財政需要額に算入する」というのは、単に「全体の財源の中に入っているはずですよ」と言うだけで、義務教育費分がほかに使えないように特定されるわけではない。もらった自治体は高齢者福祉や防災事業や過去の借金の返済に使わざるを得ないかもしれない。義務教育の財源保障を全面的に地方交付税に委ねた場合、全体に縮小する財源の中で義務教育費だけは従前どおり確保されるというのは詭弁である。地方財源全体が縮小すれば、義務教育費も縮小を余儀なくされるに決まっている。
 これに対して義務教育費国庫負担制度は、必要な教職員給与費の全額について、国と都道府県とが2分の1ずつ負担することによって、確実に財源保障する仕組みだ。国と都道府県とが同額の割り勘で負担しあうことを法律で約束しているのである。法律で決まっているということが大事だ。地方交付税のように財務省と総務省とで決めることはできないのだ。
 中教審は、国庫負担制度と一般財源化とを比べ、義務教育費の財源確保の確実性・予見可能性がどちらにあるかを詳細に検討した結果、国庫負担金に軍配をあげた。国庫負担金による方が、義務教育を安定的に支えていけるという結論を出したのだ。事実と論理によって導かれた、至極まっとうな結論である。(つづく)
前川喜平〔(まえかわ・きへい)文部科学省初等中等教育企画課長〕


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